三遠ネオフェニックス 新加入のラベナ選手に 独占インタビュー。

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三遠ネオフェニックス今回は、フィリピン出身でプロキャリアを日本で、そしてフェニックスでスタートする、サーディ・ラベナ選手の青春時代を教えていただいた。ラベナ選手は、バスケットボール選手の父とバレーボール選手の母の間に生まれた。両親はどちらもナショナルチームの選手だったという。にもかかわらず初めに始めたスポーツは野球だった。しかし屋外での活動を医者から止められ断念することに。そこで父の試合をよく観に行っていたこともあり、7歳の頃、バスケットボールを始めようとクラブのトライアウトを受けた。しかし、フットワークの成績が悪くクラブに入ることができなかったそうだ。そこで1年間バドミントンのクラブに通い、フットワークを磨いた。バドミントンの成果もあり、翌年トライアウトに合格し、ここからラベナ選手のバスケットボール人生がスタートした。小さい頃は、よく父の練習にも顔を出し、練習が終わると、父、兄、ラベナ選手の三人でよく1対1の練習をしていたそうだ。そんなラベナ選手の兄も現在、フィリピンのナショナルチームにも所属するプロバスケットボール選手である。
三遠ネオフェニックス子どもの頃の将来の夢は、科学者になることだった。勉強が好きというより、実験など面白いことをしたいと思っていたそうだ。高校3年生の時に両親からもバスケット選手になってほしいと伝えられ、本格的にプロのバスケ選手を目指そうと決意した。憧れの選手は、コービー・ブライアント選手で、レイカーズの試合をよく見ていて華やかなプレーが魅力的だったそうだ。そんなコービー選手と1998年にマニラで行われたエキシビションで父が対戦。2013年には、兄がコービー選手と対戦。2016年にはラベナ選手自身もコービーと対戦した話を感慨深げに教えてくれた。「成功するためには、それに見合った努力と犠牲が必要だ」とラベナ選手は話し、自身も多くの時間と体力をバスケットボールに注いできたという。簡単にうまくなることはないからこそ、どれだけ努力できるか、犠牲を払うことができるかが大事であるとバスケだけではなく、すべての競技を行う子供たちに向けてアドバイスをくれた。「個人のプレーよりもチームが勝つことが一番大事なこと。チームメイトと協力して、勝つところを皆さんにお見せしたい」と意気込みを語ってくれた。チームが自分の加入を歓迎してくれていることが嬉しい。そんなチームでプレーできることを楽しみにしているという。

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