三遠ネオフェニックス 太田 敦也選手独占インタビュー。
今回は、豊川市出身で、長年フェニックスを支える太田敦也選手にインタビュー。
小学生の頃は、ゲームや、プラモデル、ミニ四駆が好きでオタク気質もあったのかもという。今でも時間があれば、ミニ四駆をやってみたいと思うこともあるそうだ。
バスケを始めたのは、小学校の部活動。7個上のお姉ちゃんや5個上のお兄ちゃんもバスケ部に所属していたことから、特にそこまで考えることなく同じバスケ部に入った。
当時は、小学校1年生から続けていた柔道のほうが好きでバスケよりも柔道を続けていこうと思っていたそうだ。中学校に上がった時、入ろうと思っていた柔道部がちょうど廃部になってしまい、それがきっかけで中学校でもバスケ部に所属。しかし、決して強豪校ではなかったチームは県大会に出場することもなかった。
高校生の時、先輩マネージャーから「夢はないのか」と聞かれとっさに「オリンピックに出たい」と答えたという。そこまで何となく続けていたことにも気が付き、その発言が今でも原動力になっている。
太田選手に影響を与えた人は、フェニックス元HCの中村和雄さん。学生のころからお世話になっていて、社会人になってからも中村さんの元、毎日怒られながらも今の土台が作られたという。本当に365日怒られていたという日々だったが、振り返れば自分への期待の表れだったと感じている。
これからもまだまだ第一線でプレーしていきたい太田選手は、最近ではトレーニングだけではなく、食事にも気を使いバランスのいい食事を心がけている。「いつまでやっているんだ」と周りから言われるくらいずっとプレーしていきたいという。
太田選手は「今の子供たちは、練習熱心で、技術の高い子が多い。熱中することもいいが、バスケだけではなく、勉強も遊びも子供のころしかできない経験をどんどんしてほしい」と今頑張っている子供たちにアドバイスをくれた。そして「バスケに限らず、何かに興味を持ったら行動を起こしてみてほしい。行動することで気づけることもいっぱいある」とメッセージもくれた。
会場では、「狭いコートの中で、大きな体がぶつかり合いながら戦う迫力あるプレーを見てほしい」と話す。
ゴール下で大きな外国籍の選手に立ち向かう太田選手の活躍に今後も注目だ。