国を越え挑み続ける選手の軌跡 河田チリジ選手に独占インタビュー

2025-26シーズン三遠ネオフェニックスに移籍し、208cm・122kgという恵まれた体格を活かした屈強なフィジカルを武器に、ゴール下でのリバウンドやブロックに強みを持つ河田チリジ選手。ここまでの道のりや子どもたちへの思いを話してもらった。
南アフリカ共和国ヨハネスブルグで生まれ育った河田選手。小学生のころは、遊びといえばサッカーで、いつも周りの友だちとサッカーをしていたと振り返る。バスケを始めたのは2002年(当時13歳)。高身長だった河田選手に、クラブチームからスカウトがあったことがきっかけだったという。日々練習に励む中で、状況が変わったのはNBA選手が指導に入るキャンプに参加したことだった。そこで河田選手は、アメリカにある高校からスカウトを受けた。受けた当初は、「好奇心もあり行ってみたいという気持ちもあったが、バスケを始めてから期間も短かったため、心配もあった」と話す。しかし河田選手は、初めて地元を離れ挑戦することを決め、単身でアメリカへ渡った。改めて大きな分岐点に立ったのは、大学進学の時期。もっとバスケを頑張りたいと思い、ニューメキシコ州立大学に入学。そこから、今後の人生について考えるようになったと話す。大学でのプレーを終えた後、進路を考える中で、友人から日本に行くことを勧められ、同じタイミングで日本のチームからオファーがあり日本でプレーすることに決めたと話す。来日して最初に所属したのは、熊本ヴォルターズ。日本に来て感じたことについて河田選手は「周りの人が温かく、心地がいいと感じた。年上を敬う文化や食文化がアフリカと似ていると感じる部分があった」と話し、この温かな環境も、日本でプレーを続ける決意を後押しした。
そんな河田選手がバスケをする中で大切にしていることは「勝つ気持ちを持つことが一番大事だが、バスケはチームプレーだから、みんなの事を考えプレーすることも同じように大事」と話し、元々“他の人のために”という気持ちはあったが、日本に来てよりその思いが強くなったという。子どもたちに対しては「バスケに取り組む時間が長ければ、その分成長する。練習するときは集中して、時間を惜しまずに頑張ってほしい。そうやっていれば、楽しくなってくる」と応援の言葉を送ってくれた。10代で大きな決断のもとアメリカに渡り、自ら道を切り開いていった河田選手。その姿にこちらも大きなパワーを貰った。

 

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